常識を疑うことの大切さについて話したいと思う。
みんなはできない。無理だということでも、簡単に結論を出すのではなく、
自身がいろんなことにチャレンジをし、失敗したり、成功することで、失敗する理由を理解する。成功する理由を理解する。規則性がないか探す、とにかく経験することである。
例えば、赤色のものをなんでもいいから持ってきてほしいと1000人の人間に依頼したら、1000人それぞれがいろんなものをもってくるであろう。
リンゴや風船やトマト、スイカ、マンガン電池とか赤くて簡易的に手に入る手元にあるものを持ってくるだろう。
リンゴを持ってきたとしよう。リンゴ一つとってもいろんな赤色のリンゴがあり、何一つ同じ色のものはないはずだ。
見た目では違いがなくても、研究施設にある色差を計測する色差計で計測すれば、L*a*b*色空間の場合、ΔE*ab(デルタ・イースター・エー・ビー)の数値違うことは一目瞭然だ。
それなのに他人の意見は一方的で視野が狭く、広がりがない。

今回の想定の場合、他人の意見は、たかだか1000分の1の意見どまりである。

残りの可能性(残りの赤色 999/1000)も考慮せず、ひたすら、
一辺倒な狭い思考に偏っていることが多い。

だから、1個人、1サンプルの意見なんぞ、うのみにするな。

世界には、地球上のいろんな赤があるのに、1つの赤色しかないような話っぷりである。
そんな話をうのみにしていたら、超絶狭い世界でその人の考え方で収まってしまう。
そんなんじゃ必ずと言って成功しない、凡人のままだ。
成功するためにはどうしたらいいのかを結論から言うと、
「外界的社会の法則性に自己の思想を合致させないといけない」ということである。
まず、人の意見は、いろんなパターンを想定していっているのではなく、
たいがいは一個人の経験則や知見に基づいた意見にすぎないので、
予測不能な現代社会において、1000パターン以上あるその条件下においては、
必ずしも適合しないと考えられるつまり、間違っているので、その外界的規則性とやらに合致させることはできない。

大半の人間の思想は、資本主義社会のルールに適合していない。だから、大半の人間は成功しない。
自己の思想を客観的外界の法則性に合致させるためには、
まず、仮説を立てて、どんなことにも果敢にチャレンジして失敗して、
なぜ失敗したかを考えて、また挑戦し、失敗し、学習し、
また挑戦して、失敗をしてを永遠と繰り返すことで、何らかの規則性を見つけ出すことができる。
その規則性を証明するために、規則性に対する仮説の検証をし、
仮説が立証されて、説が確率したときに、成功するための手段として成立するのである。

つまるところ、挑戦と失敗を繰り返し、何らかの規則性を導き出す。
その規則性が本当に正しいかを検証して得た正確な知見こそが、自己の思想が客観的外界の法則性に合致させるカギであるということである。

何を言ってるかわからなかったら、とにかく動画を見てくれ

これは、恋愛にも、投資にも、ギャンブルにも通用する無敵の思考法なのである。
とにかく理解しろ。頭に叩き込め。

世界に対して盲目なものは敗北しかない。



パラダイスみてぇなブログを作りてぇ。

・・・・・。信じるのは己のみだ。

黒猫であれ白猫であれ、たくさんの人に読まれるブログがいいブログだ。

・・・。黙れ。ここは、俺の世界だ。

世界全体もしくは米国に投資しろ。それが資本主義のゲームのルールだ。
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